本のみの虫!

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私的すごい本「ともぐい」河野秋子:著

 今回取り上げるのは、「ともぐい」河崎秋子著です。弟170回直木賞受賞作。比較的最近のですね。

 今まで読んだもので、もうこれはすごいから!というものも思い出しながら書いて紹介していきたいなと思います。

 題して「私的 すんごい本」

 あくまでも私的な感想です。

 

 それでは「ともぐい」です。

 まず、主人公は山に住むマタギの熊爪。かなりワイルドです。熊との息詰まる闘いが描かれるのはもちろん、山の中でのワイルドな生活も綺麗事抜きに書かれます。とにかく描写がすごい。生々しい。圧倒されます。そこに人としての生き方や人間関係も絡んできます。とにかく骨太な小説。読み応え十分です。

 

 以降、あらすじを。

 注意⚠️ネタバレ含みます。

 時は明治時代、北海道の山中でマタギとして生活している熊爪。彼のことを気にかけ熊爪から鹿肉などを買っている良輔。良輔の屋敷で世話になっている盲目の陽子。熊爪は不思議な魅力をもつ陽子のことを気にかけていた。

 そんなある日、山中で熊爪は1人のけがをした猟師を助ける。その猟師は「穴持たず」と言われる危険な熊を追いかけてここまでやってきていたのだ。熊爪は同情や哀れみではなく、このまま猟師を放っておくと熊が人間の味を覚えて厄介なことになることを恐れ、この猟師を小屋に連れて帰り助ける。

 その後、穴持たずを駆除しないと危険だと判断した熊爪はその穴持たずを狩るべく追いかけ山中へいくが、目の前でその穴持たずは赤熊というさらに大きな危険な熊にやられてしまう。

 その場で何もできなかった熊爪は今度はその危険な赤熊を狩ると決意し、赤熊と対峙する。この時熊爪は死を覚悟するのだが、赤熊を狩った熊爪は怪我を負ったものの生き残る。

 一方、良輔の羽振りの良かった屋敷は傾きかけ雲行きが怪しくなる。使用人たちは次々に屋敷を出、良輔も妻もお互いの浮気を隠そうともしない。

 そんな状況下、熊爪は陽子を嫁として娶り山中の自分の小屋に連れ帰る。山中での二人の生活が始まり、陽子と熊爪との間には子供も生まれた。だが、二人の気持ちはすれ違いを見せていき、意外な結末へとなだれ込む。

 

 熊文学と言われるだけあって、熊との対決シーンも読みごたえがあるし、男くさいにもほどがあるほど熊爪というキャラクターも魅力的。だが、山中で生活する熊爪のワイルドさは山中だからこそ生き生きするわけで、里に下りてくると途端に浮く存在になります。

 全般を通して、決してきれいには描かれない。山中での生活も熊爪のあらあらしい言動もそのままストレートに汗臭く描かれます。 しょっぱなの熊爪が鹿を解体するシーンや猟師を助けるシーンなど目をそむけたくなるくらい生々しい描写も出てくる。その描写にただただ圧倒されまくり。

 赤熊との決闘で怪我を負った熊爪は山中で相変わらず暮らすものの、以前のように熊を狩ったりすることはできなくなります。見かねた良輔からは炭鉱での仕事を斡旋され、熊爪の気持ちも傾きます。

 ですが、良輔の仕事が傾いたこともあり、陽子という伴侶を得た熊爪は山中での生活を選びます。結局熊爪は山でしかいきることのできない男なのだなと思う。

 子供をもうけ、山にもなれてくる陽子との生活は、そのままおだやかに続きそうにも思えたが、急転直下、熊爪と陽子の生活は・・・・。

 

注意!!! ここからさらにネタばれいたします。そしてかなり自分勝手な考察へまいります。

 

 なぜ、陽子は熊爪を?? あまりの急転直下に最初読んだときはついて行けずただただ驚愕の結末だったのですが…。これは熊爪の立場でずっと没入して小説を読んでいたからだと気づきました。

 これよくよく考えるといきなり妻から三行半突きつけられて、「うちは上手くいってたはずなのに、なんでだ!」という図式じゃないか。つまりは見事な男目線にさせられていた? そのくらい熊爪はこの小説の中で圧倒的な存在感を放っていた。

 けれど、これを陽子の視点から見てみると、途端に納得。陽子は目が見えないとはいえ大きなきれいなお屋敷でこぎれいな恰好をし生活していた女性です。目が見えないというのは実は完全な盲とういわけではなく、完全な盲を装っていたのだと途中で気づかされます。

 彼女は完全な盲ではなかった。だが、女性が、しかも障害をもつ女性が一人で生きることが困難であっただろうという時代、完全な盲を装うことが彼女の生きるすべだったともいえる。実際そのために良輔の庇護下にはいることができたわけです。

 だが、良輔の家は傾く。使用人は次々に家を離れる。陽子には焦りがあったことでしょう。そんなとき手を差し伸べたのが熊爪だった。陽子は良輔から熊爪に自分を託す相手を変えたのです。

 連れてこられたのは山中の汚い小屋。獣みないな暮らし。結婚したからといって熊爪は女性の気持ちをおもんばかるわけでもなくそれまでと変わらない獣じみた暮しを続けます。陽子としてはそれに慣れるしかない。普通に女性としたら「お断り!」な状態です。

 陽子の心情は描かれないのでわかりづらいのだけど、それでもいくつか信号を発していたことに気づきます。陽子は生まれた我が子をかわいがるが、名前をつけようとしなかった。まるで熊爪が相棒の犬に名前をつけないように。これ、私の勝手な解釈だけれど、ここではこの子は人間ではなく獣としてしか育てられませんよというメッセージだったのではないかと。

 それでも山のくらしになれる努力をする陽子。一方、勝手に自分のテリトリーに連れてきながら、熊爪はともすると陽子との生活に面倒くさささえ感じている。陽子もおそらくそんな熊爪の心を少なからず感じ取っていたと思います。

 わがままをいわない陽子が唯一、果物を食べたいから果物の木でも植えようかしらと提案します。それに対して熊爪は一言「そんなことしても無駄」と一蹴してしまうのです。

 果物、ささやかな贅沢ですよ。植えたからといって邪魔になるものでもなく、大きく獣じみた生活が変わるわけでない。「いいね、やってみたら。」なんてちょっとでも陽子の気持ちに沿う言葉があったなら、それだけで違うのに、この一言ですよ。たわいもない遣り取りかもしれませんが、私ならその一瞬で気持ちが冷える、相手に対してあきらめがつく瞬間だと思います。 

 「〇〇す」までいかなくても子供を連れて家を出ますよね。当たり前に陽子の気持ちに納得がいきます。二人で始めた生活なのに、相手の感情をおもんばかることをせず、自分のやり方のみ貫きとおそうとし、それに対して悪びれもしない、そんな夫なら、気持ちはいずれ醒めるのが当たり前ってなものですよ。

 自分の若く美しい時期、理解のない夫に奪われてしまった時間、恨みに近い感情が沸いても不思議ではない。

 とはいえ、おそらく陽子が子どもを連れて小屋をでても、熊爪が後を追うことはしなかったでしょう。前の静かな獣みたいな生活をそのまま続けるだけだったと思います。相棒の犬一匹だけそばに置いて。それでも陽子は熊爪に刃を向けた。なぜなのか。

 全盲ではないものの、障害がある女性。それまでは誰かの庇護下で生き延びてきた女性。こんどはさらに守るべき子供もいる。そんな女性があの時代家を出て新しい生活を築くのはやはり容易ではなかったはず。かなりの決心がいったことでしょう。熊爪に刃を向けたその行動は彼女の硬い決意と覚悟だったのでしょうか。

 どうにも陽子目線で、熊爪はひどいだけの男みたいに思えてしまうのですが、でも最後、はねのけようとすれば簡単にできるはずの熊爪が陽子の背を押します。最後の最後に陽子の感情ひっくるめてすべて受け入れてみせる。

 「ともぐい」という題名、2匹の熊の死をかけた壮絶な戦い、そして、最後の人間が人間を殺す行為。この2つがかけられているのかもしれませんが、私にはこの陽子と熊爪の幕引き。お互いがお互いをむさぼるというより、なんだか深い愛を感じてしまったんですよね。

 熊爪、やっぱり「男」じゃないか、と。

 

 私の場合、この小説、熊文学として読んでいる最中は目いっぱい楽しませてもらったわけですが、読み終わって浮き上がってきたのは二人の夫婦としての物語。色々考えさせられてしまった。

 読み終わってああ面白かったという小説はたくさんありますが、私の中で「すごい」と思える小説って、読み終わってからしばらく「どうしてああなった?」「え?これはどういういこと」「そうか、もしかしてこういうこと」みたいに色々考えさせられ、余韻を楽しめる小説のことです。

 その意味でもこの作品はすごかった。すごくすごく堪能させていただきました。